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2021-02-13

スパニッシュ・ネザーランド1644年フィリップ4世2ソブリン・ドールNGC-MS63

スパニッシュ・ネザーランド1644年フィリップ4世2ソブリン・ドールNGC-MS63

1637年~1647年発行

直径:35ミリ

重量:11.04g

統治者:フィリップ4世

NGC社鑑定済みは3枚です。

そのうちMS63は1枚でトップグレードです。


表面

(Spanish Netherlands)

スペイン領ネーデルラントは、1556年から1714年までハプスブルク家のスペイン支部によって統治されていたハプスブルク領オランダの名前でした。これらは、スペイン国王によって個人的に結ばれた神聖ローマ帝国の州でした。

 


表面拡大図


フェリペ4世


在位 1621年3月31日 – 1665年9月17日

別号 ナポリ王
シチリア王
ポルトガル王
出生 1605年4月8日


Flag of Cross of Burgundy.svg スペイン帝国、バリャドリッド
死去 1665年9月17日(60歳没)
Flag of Cross of Burgundy.svg スペイン帝国、マドリード
埋葬 Flag of Cross of Burgundy.svg スペイン帝国、エル・エスコリアル修道院


配偶者 イサベル・デ・ボルボン
マリアナ・デ・アウストリア
子女 一
家名 ハプスブルク家
王朝 スペイン・ハプスブルク朝
父親 フェリペ3世
母親 マルガリータ・デ・アウストリア
宗教 カトリック


名家中の名家である、ハプスブルク家の王
政治家としては見るべき功績を残さなかった人物であるが、性格は至って善良で、カスティーリャ国民には愛されていました。

乗馬や射撃の名手であり、ベラスケスやルーベンスを保護して傑作を数多く描かせました。

当代随一の目利きとしてヨーロッパ最高の美術コレクションを築き、後のプラド美術館の礎としました。(スペイン黄金時代美術館)


ウキペディアより

ディエゴ・ベラスケス

(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599年6月6日(洗礼日) – 1660年8月6日)はバロック期のスペインの画家。

エドゥアール・マネが「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠である。
主な作品

『ブレダの開城』

『ブレダの開城』は、王の離宮の「諸王国の間」という大ホールを飾るために描かれた戦勝画。1625年、ネーデルラント南部の要塞ブレダにおけるスペイン軍の戦勝を記念して制作されたもので、敗れたブレダ守備隊の指揮官ユスティヌス・ファン・ナッサウ(オラニエ公ウィレム1世の庶子)が、勝者であるスペイン側の総司令官アンブロジオ・スピノラに城門の鍵を渡そうとする場面が描かれている。

この種の戦勝画では敗軍の将は地面に膝をつき、勝者はそれを馬上から見下ろすという構図が普通であったが、この『ブレダの開城』では、敗軍の将ユスティヌスと勝者スピノラは同じ地面に対等の位置で立っている。

温和な表情のスピノラは、まるで長年の友人に対するように敗者ユスティヌスの肩に手を置いている(ちなみに両者は1601年にニューポールトで対戦したこともある)。

スピノラの傍らに大きく描かれた馬は、彼が敗者に敬意を表するためにわざわざ馬から下りたことを示している。

このような、勝者側の寛大さを二重三重に強調した表現は、敗者に名誉ある撤退を許したスペインの騎士道精神の勝利を表したものといわれている。


『教皇インノケンティウス10世』

1649年、ベラスケスは2度目のイタリア旅行に出かけ、ローマに2年ほど滞在している。この間に描かれた教皇インノケンティウス10世の肖像は、カトリックの最高位にある聖職者の肖像というよりは、神経質で狡猾そうな一人の老人の肖像のように見える。

国王、教皇から道化師まで、どのようなモデルをも冷徹に見つめ、人物の内面まで表現する筆力はベラスケスの特長である。


椅子に座るモデルの膝から上の部分が、画面の中心に大きく描かれている。モデルの背後は緞帳により完全に閉ざされている。

これにより画面のほとんどはこの緞帳か教皇が身に着けた服飾、すなわちなんらかの繊維製品により占められている。


それ以外の部分には椅子の木製あるいは金属の部分と、衣装から覗くモデルの顔と手が描かれている。

人物像の周囲の余白はほとんどない。

特にラファエロが描いた教皇レオ10世の肖像に見られたような、侍者など他の人物の姿や小道具は描かれていない。


 

わずかに持物として左手の紙片が確認できる。

この構図により鑑賞者の視線は、画面の大部分を占める布地の色彩と質感、あるいは頭部の再現的描写の観察へといざなわれる。

色彩に関してはまず、緞帳、帽子、上着、椅子のカバーに見られる赤が支配的である。その次に広い面積を占めるのが白で、シャツと下衣に認められる。赤と白が画面のほとんどを占める中で、顔と手の肌色、椅子の金属部分の金がアクセントとなっている。

後にフランシス・ベーコンがこの肖像画をモチーフにした一連の作品を制作したことでも知られている。


『鏡のヴィーナス』

『鏡を見るヴィーナス』とも。ロンドン・ナショナル・ギャラリーの所蔵で、英語圏では『ロークビーのヴィーナス (The Rokeby Venus)』と呼ばれることが多く、諸外国では他にThe Toilet of Venus、Venus and Cupid、La Venus del espejoor、La Venus del espejo などと呼ばれている。

1647年から1651年にかけて、ベラスケスがイタリアに滞在していたときに描かれたものといわれ、ローマ神話の女神であるヴィーナスが裸体でベッドに横たわり、彼女の息子である愛の神キューピッドが支える鏡に見入っているという構図の絵画である。


古代からバロック期にいたるまでの数多くの絵画が、ベラスケスのこの作品に影響を与えたといわれる。

イタリアの画家たちが描いた裸体のヴィーナス、たとえばジョルジョーネの『眠れるヴィーナス (Sleeping Venus, 1510年 アルテ・マイスター絵画館蔵)』、ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス (Venus of Urbino, 1538年 ウフィツィ美術館蔵)』などである。


ベラスケスはこの絵画にそれまでのヴィーナスの作品でよく描かれた、ベッドや長椅子に横たわるヴィーナス、鏡に映った自分自身を見つめるヴィーナスという二つのポーズを取り入れている。

この作品は以降のさまざまな絵画表現における出発点となった。それは中央に鏡を配置することにより、鑑賞者に背を向けているヴィーナスの向こうむきの表情まで表現していることなどである 。


『鏡のヴィーナス』はベラスケスが描いた裸婦画で唯一現存している作品で、厳格なカトリック教国であった当時のスペインにおいて17世紀に異端審問によって徹底的に弾圧の的となった裸婦を描いたスペイン絵画で残っている非常に数少ないものの一つである。

こういった弾圧にもかかわらず、外国の画家たちによって描かれた裸婦画はスペイン貴族階級の間で熱心に収集されており、『鏡のヴィーナス』も、イングランドのヨークシャーにあるカントリーハウスのロークビー・パーク (en:Rokeby Park) へ持ち込まれる1813年まではスペイン宮廷人の家に飾られていた。


この絵画は1906年にナショナル・アート・コレクション・ファンド (en:National Art Collections Fund) によってロンドン・ナショナル・ギャラリーのために購入された。1914年には婦人参政権論者のカナダ人メアリ・リチャードソンによって切り付けられひどく損傷したが、すぐに修復され、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに元通り展示されている。


ピーテル・パウル・ルーベンス

ピーテル・パウル・ルーベンス(蘭: Peter Paul Rubens, Pieter Pauwel Rubens, Petrus Paulus Rubens オランダ語: [ˈrybə(n)s]、1577年6月28日 – 1640年5月30日)は、バロック期のフランドルの画家、外交官。

祭壇画、肖像画、風景画、神話画や寓意画も含む歴史画など、様々なジャンルの絵画作品を残した。日本語ではペーテル・パウル・リュベンス、ピーテル・パウル・リュベンスなどと表記する場合もある。
ルーベンスはアントウェルペンで大規模な工房を経営し、生み出された作品はヨーロッパ中の貴族階級や収集家間でも高く評価されていた。またルーベンスは画家としてだけではなく、古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家でもあり、さらに七ヶ国語を話し、外交官としても活躍してスペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世からナイト爵位を受けている。


『ルーベンスとイザベラ・ブラントの肖像』(1609年 – 1610年)

『すいかずらの木陰』『すいかずらの葉陰』などとも呼ばれるこの作品には、ルーベンスと最初の妻イザベラが描かれている。


『レルマ公騎馬像』(1603年)

プラド美術館(マドリード)
スペイン貴族レルマ公フランシスコ・ゴメス・デ・サンドバル・イ・ロハスの肖像画で、ルーベンスが最初にスペインを訪れたときの作品。


『ヴァリチェッラの聖母』(1608年)

キエーザ・ヌオーヴァ(ローマ)
キエーザ・ヌオーヴァ(サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂)の主祭壇画。


このように、スペイン フェリペ4世 ゴールドソブリン 1SD’Or 1651 MS62 NGCはフェリペ4世が当然デザインを承認したでしょうし、非常に芸術的な目を持った国王でした。

様々な世界的著名な画家を援助し、その絵画を後世に残した王として素晴らしい仕事をされたと思います。

 


裏面

 


裏面拡大図

 


この希少な金貨の中でも特に派手な逸品であり、その光沢は独特の水のような輝きを放ち、シャープに描かれた余白に強いシルエットの仕上げを与えています。

 

表面は若干のキャビネットの摩擦が見られますが、これはフィリップの胸部のほぼ霜のような仕上がりによって、すぐに打ち消されます。

現在のところ、この日付とミニマークの組み合わせについてはNGCで認定された最高級品であり、次のランクのものは5ランク下のものとなっています。

 

AU55が1枚、AU58が1枚、MS63も1枚とレア度が高いです。

 


魅力的なデザインと非常に重量感があるのが特徴的な金貨です。
鑑定済み枚数が3枚と少なく、トップグレードであることから非常に価値の高い一枚となっています。

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