スパニッシュネザーランド ブラバント公国 1694年 カルロス2世 2ソブリンドール金貨 NGC-AU55
1665年~1700年発行
発行枚数不明
重量:10.99グラム
直径:34ミリ
品位:91%金
NGC社鑑定済み1枚
NGC-AU55はトップグレードです。
基準価格
VF6000ドル
EF10000ドル
現在は値上がりしておりこの価格に落札するのは厳しいです。
表面
(Spanish Netherlands)
スペイン領ネーデルラントは、1556年から1714年までハプスブルク家のスペイン支部によって統治されていたハプスブルク領オランダの名前でした。
ブラバント公国(現在ではベルギー)は、スペイン国王によって個人的に結ばれた神聖ローマ帝国の州の一部でした。
表面拡大図
裏面
裏面拡大図
カルロス2世
在位 1665年9月17日 – 1700年11月1日
別号 ナポリ王・シチリア王
出生 1661年11月6日
Flag of New Spain.svg スペイン帝国、マドリード王宮 (en)
死去 1700年11月1日(38歳没)
Flag of New Spain.svg スペイン帝国、マドリード王宮
埋葬 Flag of New Spain.svg スペイン帝国、エル・エスコリアル修道院
配偶者 マリア・ルイサ・デ・オルレアンス(1679年 – 1689年)
マリア・アナ・デル・パラティナド=ニオブルゴ(1689年 – 1700年)
家名 ハプスブルク家
王朝 ハプスブルク朝
父親 フェリペ4世
母親 マリアナ・デ・アウストリア
名家中の名家である、ハプスブルク家の王
スペイン・ハプスブルク家最後の男子であり、彼の出生をスペイン国民は喜んだ。
しかし、出生時から病弱な人物であり、当時その理由は「呪いをかけられたため」と一般に考えられており、カルロス2世自身もそう思っていた。現在では、彼が病弱だった理由はおそらくハプスブルク家の何重にも繰り返した、近親婚によるものであろうと考えられている。
ウキペディアより
スペイン継承戦争
1701~14年にかけてのフランス、スペインとイギリス、オーストリア、オランダとの間の戦争。
1700年にスペイン王カルロス2世が没したが、王には子がなかったので、フランス王ルイ14世の孫フィリップ・ダンジューを後継者に指名し、彼がフェリペ5世として即位した。これに対し海上貿易、とくに新大陸貿易確保の観点から、フランスとスペインとの提携に反対する、イギリス、オランダ、およびスペイン王位継承権を主張するオーストリアの三国は、同盟を結んで対抗し、宣戦した。
開戦当初は、フランスが優勢であったが、オーストリアのオイゲン公がイタリアでフランス軍を破ったのち、1704年同公とイギリスのマールバラ公が、ブレナムの戦いでフランス・バイエルン連合軍を撃破し、戦局を転換した。
イベリア半島に上陸したオーストリアのカール大公の軍も、06年マドリードに入城した。さらに、オイゲン公とマールバラ公は同年それぞれイタリアとネーデルラントで勝利を収めたのち、08年にはウーデナルドの戦いでフランスに大打撃を与えた。一方、海上でも、イギリス、オランダ艦隊はポルトガル沿海でフランス、スペイン艦隊を破り、04年ジブラルタルを占領した。
こうした同盟軍の優勢をみて、ルイ14世も講和を決意したが、その条件について妥協がならなかったため決裂し、戦争は続行された。その後もフランスは、一時戦勢を回復したものの一般的には振るわず、守勢であった。
しかし、イギリスでホイッグ党内閣にかわってトーリー党内閣が成立し、オーストリアではヨーゼフ1世が死去してカール6世が即位するなどの同盟諸国の国内情勢の変化により、戦争終結への機運が兆し、1711年イギリスとフランスの交渉をきっかけに、13年ユトレヒト条約の締結となった。その後もオーストリアは戦争を継続したが、これも翌年のラスタット条約で終わりを告げた。なお、この戦争と並行して新大陸ではアン女王戦争が戦われた。
コトバンクより
重量:10.99グラム
直径:34ミリ
品位:91%金
NGC社鑑定済み1枚
トップグレードであることから非常に価値の高い金貨となっています。
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