【レア度1-R1】イタリア 1824-B年 レオ12世 1ドッピア金貨 NGC-MS64
1824年発行
発行枚数:17,119枚
ボローニャ製造
重量:5.46グラム
直径:21ミリ
品位:91.66%金
NGC社鑑定枚数4枚、MS64は1枚でトップグレードです。
デザイン:Giuseppe Cerbara (ジュゼッペ・チェルバラ)
聖ペトロの肖像
PRINCEPS APOSTOLORUM
コイン下部にボローニャで製造されたことを表すミントマークのB
ジュゼッペ・チェルバラのイニシャルであるGC
ジュゼッペ・チェルバラ(1770年 – 1856年)は、イタリアのメダリスト、宝石彫刻家でした。
芸術家の息子であり、父親は18 世紀最高のローマ彫刻家であり、メダリストの ジョバンニ・バティスタ・チェルバラでした。
彼の兄弟のニコラ・セルバラもメダリストでありコイン彫刻家でした。
彼の能力はすぐに認められるようになり、1812年にはサン・ルカ・アカデミーの会員、1815年にはウィーンのアカデミー・デア・ビルデンデン美術館の会員となりました。
ジュゼッペ・チェルバラ、バチカン美術館のブラッチョ・ヌオーヴォの落成式、1822年
また、1825年にはアントワープ王立美術アカデミーの会員になりました。
1831年にパンテオンのヴィルトゥオージ修道会に加わり、1834年にはフィレンツェ美術アカデミーに加わります。
1822 年に彼は教皇造幣局の彫刻官となり、ジュゼッペ・ジロメッティとともに教皇メダルを2年ごとに制作しました。
同時期に、彼はローマ造幣局とボローニャ造幣局双方で活躍しました。
LEO Ⅻ PMA II
レオ12世
レオ12世(1760年 – 1829年)は、ローマ教皇、カトリック教会の司祭。
本名、アンニーバレ・セルマッテイ・デッラ・ジェンガ 。
外交家としての手腕は高かったが、教皇領内で専制政治を行って民心を失うことになった。
1760年、イタリアの貴族ジェンガ家(現在のアンコーナ県にあるジェンガを基盤とする一族)に生まれる。
デッラ・ジェンガの出生地ははっきりとしないが、一般的にはジェンガ、もしくはスポレートで生まれたとされている。
1783年に司祭に叙階された。
教皇ピウス6世のもとで働くようになると、ティルスの名義司教を皮切りに、ケルンやパリの教皇使節を歴任した。
その中で彼は外交官としてナポレオンや各国の宮廷との折衝に努めた。
1820年にピウス7世によって枢機卿にあげられ、1823年のコンクラーヴェにおいて63歳で教皇に選出された。
この時フランスの勢力下にある枢機卿たちの激しい反対があったという。
教皇としてのレオ12世は、エルコール・コンサルヴィ枢機卿を右腕として活発な外交を展開、非カトリック諸国とも友好関係を築くことに成功した。
しかし、教皇領内において住民に対する監視システムを作ったり、ユダヤ人をゲットーに押し込めるなどの政策を実行したため、経済が停滞し、教皇領の民心を失っていった。
彼はまたカルボナリやフリーメイソンのような秘密結社を徹底的に非難した。
1829年2月10日に教皇が亡くなると、教皇領の住民は露骨に喜んだといわれている。
推定基準価格(Monte Italian Rigeonali)
MB (VF20) 850ドル
Spl (AU55) 2,500ドル
1824年発行
発行枚数:17,119枚
ボローニャ製造
重量:5.46グラム
直径:21ミリ
品位:91.66%金
NGC社鑑定枚数4枚、MS64は1枚でトップグレードです。
Monte Italian RigeonaliでR1判定の金貨です。
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