ドイツ ロストック 1796年 フランツ2世 1ダカットプルーフ金貨
NGC-MS61
統治者は神聖ローマ皇帝フランツ2世
1796年発行の1ダカット金貨です。
重量 3.5グラム
直径 22ミリ
98.6% 金 残り銀その他
グレード
MS61 NGC
基準価格
VF2000ドル
EF3750ドル
表面文字
MONETA AVREA ROSTCHIENSIS 1796
裏面文字
FRANCISCVS. Ⅱ. D. G. ROM. IMP. SEMP. AVG. VST
フランツ2世
在位 ローマ皇帝:
1792年7月7日 – 1806年8月6日
オーストリア皇帝:
1804年8月11日 – 1835年3月2日
戴冠式 1792年7月19日
別号 ハンガリー王、ボヘミア王、ロンバルド=ヴェネト王、オーストリア大公
全名 Franz Joseph Karl von Habsburg-Lothringen
フランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
出生 1768年2月12日
トスカーナ大公国、フィレンツェ
死去 1835年3月2日(67歳没)
オーストリア帝国、ウィーン
埋葬 オーストリア帝国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂
家名 ハプスブルク=ロートリンゲン家
父親 レオポルト2世
母親 マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエン
宗教 キリスト教カトリック教会
即位した際、フランス革命が進行中であった。
レオポルト2世は前年の1791年にピルニッツ宣言を行って革命への介入を宣言していたが、フランツ2世の即位から間もない1792年4月20日、フランス革命政府はオーストリアに宣戦布告し、フランス革命戦争が勃発する。
翌1793年にルイ16世が処刑されると、第一次対仏大同盟が結成されるが、
その一方でオーストリアはポーランド分割にも関与する(1795年)。
その後ナポレオン戦争に巻き込まれ、三帝会戦(アウステルリッツの戦い)で惨敗し、
フランツ2世は「ローマ皇帝」の称号を自ら放棄して、神聖ローマ帝国は名実ともに消滅した。
しかし、自らの支配領域であるオーストリアとハンガリー王国を中心としてオーストリア帝国を再編した。
ナポレオンに神聖ローマ皇帝を簒奪される前にフランツ2世は神聖ローマ皇帝から退位し、このときに形骸化した神聖ローマ皇帝に代わる称号が「オーストリア皇帝」であった。
結果フランツ2世の君主権が及ぶ領域はドイツからドイツの外にある領域も含むハプスブルク家領に移り、「神聖ローマ皇帝」フランツ2世は「オーストリア皇帝」フランツ1世となった。
新しい皇帝の称号は、フランス皇帝ナポレオンによって承認された。その後もなおオーストリア皇帝フランツ1世として君臨した。
またクレメンス・メッテルニヒを登用し、ウィーン会議で失地を回復した。
1796年発行の1ダカット金貨です。
重量 3.5グラム
直径 22ミリ
98.6% 金 残り銀その他
グレード
MS61 NGC
神聖ローマ帝国最後の皇帝がモチーフということで非常に価値のある金貨だといえるでしょう。
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