【レア度1-R1】イタリア 1888年 Mark & Lottie Salton Collection ウンベルト1世 100リラ金貨 NGC-MS61
1888年発行
発行枚数1169枚
重量:29.03グラム
品位:90%金
NGC社鑑定枚数48枚、MS61は21枚でトップ2グレードです。
イタリア王
ウンベルト1世(1878-1900)の肖像
王冠と紋章の盾
ウンベルト1世(1878-1900)
ウンベルトは当時サルデーニャ=ピエモンテ王であったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の長男としてトリノに生まれる。
1858年3月に陸軍将校としてサルデーニャ王国軍に加わり、軍務に関わりながら青年期を過ごした。
従って父ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世によってイタリア統一戦争が再開されると、父と共に前線で軍を率いる役割を負うようになった。
ロンバルディア解放の命運を賭けたソルフェリーノの戦いでは軍司令官の一人として勇敢に戦い、小説「クオーレ」にも描かれているように父以上に民衆に親しまれる存在であった。
その後も軍に在籍を続け、普墺戦争ではクストッツァの戦いに敗れて後退する友軍を助けるべく、ヴァルテリーナの戦いに第17師団を率いて戦った。
カミッロ・カヴール伯爵ら政府閣僚が成立したイタリア王国の体制確立を進める中、王家たるサヴォイア家も新たに獲得した地位の運用に追われていた。
獲得した膨大な爵位と名誉を縁のある貴族たちに分配したり、同格となった上流の王侯貴族たちとの血縁外交を進めたりと王家内の家政に奔走するヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、その一環として嫡男ウンベルトの婚姻を進めていた。
しかし、他国が新たな爵位継承を承認するには時間が必要であり、早い段階で爵位を承認した貴族たちには未婚の適齢女性が少なかった。
その時点では少女の王女たちを含めれば許婚を用意できるが、統一時に既に適齢期になっていたウンベルトには残された時間が少なかった。
また、教皇領を没収したことによる外交対立も、カトリック圏での婚姻を難しくしていた。
弟アメデーオはサヴォイア家の家臣であるチステルナ公の子女マリーア・ヴィットーリアと結婚したが、父王は王位を継ぐウンベルトには外交関係を優先して結婚延期を命じた。
対立していた教会への接近なども試みられたが有効な成果は上がらず、かといって非カトリック圏との婚姻は一族内の同意を得られなかった。
それでも父の努力の結果、敵対国であったオーストリア帝国との関係改善を前提として、ハプスブルク=ロートリンゲン家出身のテシェン公女マティルデとの婚約がまとまったが、不幸にも彼女は大火傷により結婚前に没した。
父王はやむなく、サヴォイア家傍系出身でウンベルトの従妹であるジェノヴァ公女マルゲリータとの同族結婚を決定した。
彼女は体が弱く、両者の間には一人息子としてヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が生まれるのみとなった。
Mark & Lottie Saltonコレクション
マークは1914年、サルトンは1924年に共にドイツで生まれました。
マークの父、ジョエル・フェリックス・シュレシンジャーは当初銀行員でした。
しかし、彼はフランクフルトの名門貨幣製造会社の社長レオ・ハンブルガーの甥であり、1911年、フェリックスはその会社に入社しました。
1928年、彼は自分の貨幣販売会社を設立し、ベルリンに移転して著名なオークションハウスとなりました。
マークの母、ヘドウィグはミュンヘンの名門フォイヒトヴァンゲル家の子孫で、フォイヒトヴァンゲルは1830年代に「フォイヒトヴァンゲルの合金」を開発し、その合金でトークンを製造したことでアメリカの貨幣研究者によく知られている。
マークとサルトンは1948年に結婚し、貨幣学に興味を持ち、ルネサンスとバロックのメダル美術に焦点を当てていました。
メダル収集家のアイラ・レザックは、
「マークとロッティ・ソルトンは、今はもうなくなってしまった古い文化の洗練された代表者だった」
と語っています。
基準価格 (Standard Catalog of World Coins 1801-1900)
VF 8000ドル
XF 9000ドル
UNC 10000ドル
1888年発行
発行枚数1169枚
重量:29.03グラム
品位:90%金
NGC社鑑定枚数48枚、MS61は21枚でトップ2グレードです。
歴史あるイタリアの金貨です。
Künker(オークション会社)にてR1判定と貴重な金貨です。
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