フランス 1625-47年 フレデリック・ヘンリー 2ピストール(4エキュドール)金貨 NGC-AU58
1625-47年発行
重量13.12グラム
品位96.3%金
NGC社鑑定枚数2枚
AU58でトップグレードです。
表面
フレデリック・ヘンリーの肖像
裏面
クローバーの十字架
フレデリック・ヘンリー(1625-47)
オランダ総督、オラニエ公
父の政治能力と兄の軍事能力をバランス良くあわせ持っていたと言われ、オランダ共和国の内政・対外政策ともに中庸策をとって、国内の平穏と八十年戦争の終結に貢献した。
出生 1584年1月29日
ネーデルラント連邦共和国、デルフト
死去 1647年3月14日(63歳没)
ネーデルラント連邦共和国、デン・ハーグ
埋葬 ネーデルラント連邦共和国、デルフト、新教会
配偶者 アマーリエ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルス
家名 オラニエ=ナッサウ家
父親 オラニエ公ウィレム1世
母親 ルイーズ・ド・コリニー
役職 ホラント州・ゼーラント州・ユトレヒト州・オーファーアイセル州・ヘルダーラント州総督
継承前は兄に従い軍務をこなし、1625年に死去した兄から家督と総督職を継承、ホラント州・ゼーラント州・ユトレヒト州・オーファーアイセル州・ヘルダーラント州総督に就任した。
また、兄が死去する前に結婚を命じたため同年に長年の愛人であったアマーリエ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルスと結婚した。
就任直後にブレダがスペインの将軍アンブロジオ・スピノラに奪取されたが、1627年から反撃を開始してフルーンロを奪取、1629年にスヘルトーヘンボスも落とし、1632年にフェンロー・マーストリヒトなどマース川流域の諸都市を奪い、1637年にブレダを奪還した。
1644年にテルネーゼンの都市サス・ファン・ヘントを、1645年にフルストを奪取して南部国境の諸都市を奪い、ほぼ現在のベルギーとの国境までオランダの領土を拡大した。
また、1639年に海軍提督マールテン・トロンプがダンケルクの海戦・ダウンズの海戦でスペイン海軍に勝利して戦争の終結を決定付けた。
外交も盛んに行い、1635年にフランスと攻守同盟を結んで戦争を優位に持ち込んだ。三十年戦争におけるヴェストファーレン条約の成立にも尽力したが、成立前の1647年に死去した。
しかし、この条約によってオランダは国際的に独立が承認され、スペインとも和平が成立して八十年戦争は終結した。
フレデリック・ヘンドリックの正嫡の息子は1626年にアマーリエとの間に生まれたウィレム2世のみであり、このウィレム2世がオラニエ公と総督職を継承した。
イングランド王ウィリアム3世となったオラニエ公ウィレム3世はその息子である。
フレデリック・ヘンドリックはオランダ軍の総司令官として戦果を上げる一方、フランス風の宮殿を造営して華やかな宮廷生活を行い、ドイツ諸侯やイングランドのステュアート家と姻戚関係を結んだ。
これによりオラニエ=ナッサウ家の地位は高まったが、同時に諸外国とオランダとの外交関係を複雑なものにした。
重量13.12グラム
品位96.3%金
NGC社鑑定枚数2枚
AU58でトップグレードです。
フランスの金貨に加え、鑑定済み枚数も少なく非常に価値の高い金貨です。
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