グレートブリテン 1603-25年 ジェームズ1世 ゴールド・ユナイト金貨 PCGS-AU55 Mark and Lottie Salton Collection
1603-25年発行
発行枚数不明
PCGS社鑑定済み1枚、AU55でトップグレードです。
重量:10.00グラム
品位:99.48%金
表面:ジェームズ1世の肖像
裏面:王冠と盾の紋章
Mark & Lottie Saltonコレクション
マークは1914年、サルトンは1924年に共にドイツで生まれました。
マークの父、ジョエル・フェリックス・シュレシンジャーは当初銀行員でした。
しかし、彼はフランクフルトの名門貨幣製造会社の社長レオ・ハンブルガーの甥であり、1911年、フェリックスはその会社に入社しました。
1928年、彼は自分の貨幣販売会社を設立し、ベルリンに移転して著名なオークションハウスとなりました。
マークの母、ヘドウィグはミュンヘンの名門フォイヒトヴァンゲル家の子孫で、フォイヒトヴァンゲルは1830年代に「フォイヒトヴァンゲルの合金」を開発し、その合金でトークンを製造したことでアメリカの貨幣研究者によく知られている。
マークとサルトンは1948年に結婚し、貨幣学に興味を持ち、ルネサンスとバロックのメダル美術に焦点を当てていました。
メダル収集家のアイラ・レザックは、
「マークとロッティ・ソルトンは、今はもうなくなってしまった古い文化の洗練された代表者だった」
と語っています。
基準価格不明
Coins of Englandでは
F 950ポンド
VF 3,000ポンド
ジェームズ1世
イギリス,スチュアート朝初代のイングランド王(在位 1603~25)。スコットランド王としてはジェームズ6世(在位 1567~1625)。
スコットランド女王メアリー・スチュアートとその夫ダーンリー卿の息子。
母が退位させられたため,生後 1年あまりで即位,1583年から親政を始めた。
1603年女王エリザベス1世が没すると,ヘンリー7世の玄孫であったところからその王位を継承し,スチュアート朝を開いた。翌 1604年ハンプトンコート宮殿会議を開いてイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)との結びつきを強化し,清教徒・旧教徒双方の離反を招き,1605年火薬陰謀事件が起こった。
スコットランドにいたとき『自由な君主国の真の法』The True Lawe of Free Monarchies(1598)を著して王権神授説を唱え,しばしば議会の権利を無視して,これと衝突した。
外交的には親スペイン政策をとり,寵臣初代バッキンガム公の進言により皇太子チャールズ(のちのチャールズ1世)の妃にスペイン王女を求めたが失敗。その治世を通じてのちの清教徒革命の原因の多くをつくった。
在位 1567年7月24日 – 1625年3月27日(スコットランド王)
1603年3月24日 – 1625年3月27日(イングランド王)
戴冠式 1567年7月29日(スコットランド王)
1603年7月25日(イングランド王)
別号 アイルランド王
グレートブリテン王(非公式)
全名 チャールズ・ジェームズ・ステュアート
出生 1566年6月19日
スコットランド王国、エディンバラ城
死去 1625年3月27日
イングランド王国、シーアボールズ宮殿
埋葬 1625年5月7日
イングランド王国、ウェストミンスター寺院
王太子 チャールズ1世
配偶者 アン・オブ・デンマーク
家名 ステュアート家
王朝 ステュアート朝
父親 ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート
母親 スコットランド女王メアリー1世
1603-25年発行
発行枚数不明
PCGS社鑑定済み1枚、AU55でトップグレードです。
重量:10.00グラム
品位:99.48%金
非常に人気なゴールド・ユナイト金貨です。
アンティークでありながら非常に良い状態を保っており、
PCGS社鑑定でトップグレードです。
コメント