【レア度2 R2】アンティークコイン トランシルヴァニア公国 1588年 ジグモンド・バートリ 1ダカット金貨 PCGS-AU58 John P. Burnham Collection
1588年発行(ヘルマンシュタット造幣所)
発行枚数不明
PCGS社鑑定済み1枚、AU58は1枚でトップグレードです。
重量:3.54グラム
直径:22.0ミリ
品位:98.6%金
表面:幼子イエスを抱く聖母マリア

表面には、三日月の上に座り、幼児キリストを抱く聖母マリアが描かれている。
聖母マリアの周囲には PATRONA VNGARIE (ハンガリーの守護女)という銘文が添えられている。
マリアを「ハンガリーの守護者」として描く伝統は、ハンガリー王国の建国以来続くものであり、プロテスタントが多数派であったトランシルヴァニアにおいて、カトリックの象徴であるマドンナを維持し続けたことは、公国の政治的な保守性と、ハンガリーの伝統への固執を物語っている。
マドンナの図像の下には、造幣所を示すミントマークが配置されている。
シビウ造幣所の場合、特定の記号やアルファベットが組み合わされることが多く、これが偽造防止や責任の所在を明確にするための「鍵」として機能していた。

裏面:聖王ラディスラウス
裏面には、11世紀のハンガリー国王であり、キリスト教の守護聖人として崇拝された聖王ラディスラウスが描かれている。
彼は右手にハルバード(戦斧)を持ち、左手に宝珠(グロブス・クルキゲル)を携えた、完全武装の騎士の姿で立っている。
この聖王の姿は、異教徒(特にオスマン帝国)の脅威に対するキリスト教の盾としてのトランシルヴァニアの役割を象徴している。
周囲の銘文は MONE TRA IL SIGI B D S と刻まれており、これは Moneta Transylvaniae Sigismundus Bathori De Somlio (トランシルヴァニアの貨幣、ソムリョのジグモンド・バートリ)の略称である。
バートリ家のソムリョ家系は、当時の公国内で最も有力な勢力であり、その名を金貨に刻むことは、摂政から独立したジグモンドの個人的な権力の確立を強調するものであった。
・1588年に銘 ジグモンド・バートリ 1ダカット金貨のレア度
1588年に鋳造されたジグモンド・バートリの1ダカット金貨は、カタログやオークションの基準において、一般的に「Very Rare (RR)」、あるいはそれ以上の「Extremely Rare (RRR)」と評価されています。
基準価格
Gold Coins of the Worldでは
VF 1,500ドル
EF 3,000ドル
1.16世紀末トランシルヴァニア公国とダカット金貨
【16世紀後半におけるトランシルヴァニアの地政学的状況とバートリ家】
1588年のデュカット金貨を理解するためには、まず当時のトランシルヴァニア公国が置かれていた特異な地位を解明する必要がある。
1526年のモハーチの戦いによるハンガリー王国の崩壊後、トランシルヴァニアはオスマン帝国の宗主権を認めつつも、高度な自治を維持する「東ハンガリー王国」の後継国家として台頭した。
この公国は、スルタンへの貢納(ハラージュ)を支払う一方で、神聖ローマ皇帝とも密通し、常に両大国を天秤にかける「伝統的な均衡政策」を維持していた。
バートリ家はこの複雑な政治舞台において、16世紀後半から17世紀初頭にかけて主導的な役割を果たした。
ジグモンド・バートリは、1572年にヴァラド(現在のオラデア)で生まれ、父クリストフ・バートリの死を受けて1581年にわずか9歳で公位を継承した。
彼の叔父であるステファン・バートリは、ポーランド・リトアニア共和国の国王として君臨し、当時の東欧最強の君主の一人と見なされていた人物である。
このような強力な血統背景は、シグィズムンドが鋳造した金貨の図像学にも色濃く反映されており、ハンガリーの伝統的な聖王像を維持することで、自身の統治の正統性を強調したのである。
【1581年から1588年までの摂政政治とその終焉】
ジグモンドの統治初期、公国は12名の貴族からなる摂政委員会によって運営されていた。
この時期のトランシルヴァニアは、オスマン帝国のムラト3世によって統治が承認されており、平和が保たれていたが、それはあくまで公国がオスマン帝国の軍事的・経済的衛星国であることを受け入れている限りにおいてであった。
しかし、若き公が成長するにつれ、摂政政治の枠組みと、公自身の野心、そして周囲の宗教的アドバイザーたちの影響が衝突し始めた。
1588年は、シグィズムンドが法的・実質的に成人し、自身の親政を開始した運命的な年である。
この年の議会において、ジグモンドは自身の統治権を確立するために、極めて困難な条件を提示された。
それは、彼が深く信頼し、自身の告白神父でもあったイエズス会を公国から追放するという要求であった。
【1588年の危機と親政の開始:貨幣に刻まれた主権】
1588年に鋳造されたデュカット金貨は、ジグモンドがイエズス会追放という「苦渋の選択」を経て得た、真の統治権の産物である。
当時のトランシルヴァニア貴族の多くはプロテスタント(カルヴァン派やユニット派)であり、熱心なカトリック信者であったジグモンドの親カトリック的、親ハプスブルク的な姿勢に強い警戒感を抱いていた。
議会が親政の条件としてイエズス会追放を求めたのは、公の権力を抑制し、公国の伝統的な中立性と宗教的寛容を維持するための策であった。
シグィズムンドは最終的に、自らのいとこたちの説得に応じて追放令に署名し、1588年12月に正式に成人したと宣言された。
この政治的決断により、彼は教皇シクストゥス5世から一時的に破門されるという犠牲を払ったが、同時に自身の名を冠した貨幣を独自に発行し、対外的に自らの主権を示す権利を確固たるものとしたのである。
1588年発行(ヘルマンシュタット造幣所)
発行枚数不明
PCGS社鑑定済み1枚、AU58は1枚でトップグレードです。
重量:3.54グラム
直径:22.0ミリ
品位:98.6%金
本貨は、16世紀の東欧が経験した政治的変革と経済的繁栄、そして宗教的対立を凝縮した希少な物理的遺産です。
若き公が摂政の枠組みを脱し、自身の運命を切り開こうとした決断の年に発行されたこの金貨は、トランシルヴァニア公国の主権と自尊心を象徴しています。
本個体が放つ「オリーブ・イエロー」の独特な輝きは、カルパティア山脈の豊かな鉱脈と、シビウの熟練した職人たちの技術の結晶であり、PCGS AU-58という高い評価は、その美しさが400年以上の時を超えて損なわれなかった奇跡を証明しています。
ジョン・P・バーナム・コレクションに名を連ね、オークションで記録的な高値で取引された事実は、この金貨が単なる通貨の歴史の一部ではなく、バートリ家というゴシック的な魅惑に満ちた血統と、東欧の十字路で戦い抜いた公国の記憶を今に伝える、極めて価値の高い文化財であることを示しています。
トランシルヴァニアの境界線上で生まれたこの1枚の金貨は、今なお、その光沢の中に1588年の激動の息吹を宿しており、それを手に取る者に、強国に翻弄されながらも自らの主権を刻み続けた人々の知恵と勇気を雄弁に語りかけることでしょう。


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