グレートブリテン エドワード6世 ヘンリー8世名義 1547-51年 1/2ソブリン金貨 NGC-AU53

ゴールドコイン

グレートブリテン エドワード6世 ヘンリー8世名義 1547-51年 1/2ソブリン金貨 NGC-AU53

 

 

 

 

 

 

タワー造幣局

 

 

 

1547-51年発行

発行枚数不明

 

 

 

NGC社鑑定済11枚、AU53は2枚でトップ4グレードです。

 

 

 

重量:6.05グラム

品位:91.67%金


表面:玉座に座る王



裏面:盾の紋章とローマ字表記のヘンリー8世



基準価格不明

 

GOLD COINS of the WORLDでは

VF           4000ドル

EF            8500ドル


エドワード6世が父の名で鋳造した金貨です。

 

ヘンリー8世の腐敗した統治の流れを引き継いだエドワード6世の初期の金貨は、通貨当局が貨幣の復元を望んでいたにもかかわらず、20カラット以下の純度で鋳造され続けました。

 

国王の戦争による借金と低地のウィリアム・ダンセル卿の財務不振により、国から金が流出するという悲惨な事態を招きました。

1550年にはフランスとの和平が成立し、1551年以降はトーマス・グレシャムとの協議により、貨幣の修復が始まりました。


エドワード6世 (在位1537-1553)

チューダー朝のイギリス王(在位1547~53)。ヘンリー8世の子。

 

 

 

生母はジェーン・シーモア。幼少であったため、伯父のサマーセット公が摂政となった。

 

 

 

のちにノーサンバーランド公1st Duke of Northumberland, John Dudley(1502-53)がかわって国政を動かす。

 

 

 

知的には早熟、繊細で好学の少年であり、また真剣に改革派の教義を信奉した。したがってその治世中にイギリスの宗教改革は前進し、クランマーによって『祈祷書(きとうしょ)』が編集されると同時に、「礼拝統一法」が制定された(1549年と52年の2回)。

 

 

 

だが、政治的、社会的には安定を欠き、農民一揆の頻発がみられた。16歳で結核のため早世。死の床でノーサンバーランド公に迫られて、公の息子の嫁ジェーン・グレイJane Grey(1537-54)を後継者に指名した。


出生  1537年10月12日
イングランド王国、ハンプトンコート宮殿

 

 

 

死去  1553年7月6日 15歳
イングランド王国、グリニッジ、
プラセンティア宮殿

 

 

 

埋葬  1553年8月9日
イングランド王国、
ウェストミンスター寺院

 

 

 

次代  ジェーン・グレイ あるいはメアリー1世

 

 

 

王家  テューダー家
王朝  テューダー朝

 

 

 

父親  ヘンリー8世
母親  ジェーン・シーモア


タワー造幣局

 

 

 

1547-51年発行

発行枚数不明

 

 

 

NGC社鑑定済11枚、AU53は2枚でトップ4グレードです。

 

 

 

重量:6.05グラム

品位:91.67%金

 

 

 

エドワード6世が父の名で鋳造した遺作シリーズの中でも素晴らしい希少品です。

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