グレートブリテン ジェームズ1世 ゴールドハーフローレル ND (1623-1624) PCGS-AU58

ゴールドコイン

グレートブリテン ジェームズ1世 ゴールドハーフローレル ND (1623-1624) PCGS-AU58

 

 

 

 

 

1623-24年発行

PCGS社鑑定枚数4枚、AU58は1枚でトップ3グレードです

 

 

 

直径:27ミリ

重量:4.51g

91.67%金

 

 

 

ロンドン造幣局


表面

イギリス国王ジェームズ1世が描かれている。


表面文字:IACOBV & D G MAG BRI ERA THI REX


裏面


裏面

裏面にはイングランドの紋章が描かれている。


基準価格 不明
COINS OF ENGLANDで

 

F      600ポンド

VF    1,750ポンド

 

 

基準価格は、更新されておらず、実際の相場価格を

大きく下回っています。


ジェームズ1世 (ジェームズ6世)

イギリス,スチュアート朝初代のイングランド王(在位 1603~25)。スコットランド王としてはジェームズ6世(在位 1567~1625)。

 

 

 

スコットランド女王メアリー・スチュアートとその夫ダーンリー卿の息子。

 

 

 

母が退位させられたため,生後 1年あまりで即位,1583年から親政を始めた。

 

 

 

1603年女王エリザベス1世が没すると,ヘンリー7世の玄孫であったところからその王位を継承し,スチュアート朝を開いた。翌 1604年ハンプトンコート宮殿会議を開いてイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)との結びつきを強化し,清教徒・旧教徒双方の離反を招き,1605年火薬陰謀事件が起こった。

 

 

 

スコットランドにいたとき『自由な君主国の真の法』The True Lawe of Free Monarchies(1598)を著して王権神授説を唱え,しばしば議会の権利を無視して,これと衝突した。

 

 

 

外交的には親スペイン政策をとり,寵臣初代バッキンガム公の進言により皇太子チャールズ(のちのチャールズ1世)の妃にスペイン王女を求めたが失敗。その治世を通じてのちの清教徒革命の原因の多くをつくった。


在位 1567年7月24日 – 1625年3月27日(スコットランド王)
1603年3月24日 – 1625年3月27日(イングランド王)

 

 

 

戴冠式 1567年7月29日(スコットランド王)
1603年7月25日(イングランド王)

 

 

 

別号 アイルランド王
グレートブリテン王(非公式)

 

 

 

全名 チャールズ・ジェームズ・ステュアート

 

 

 

出生 1566年6月19日
スコットランド王国、エディンバラ城

 

 

 

死去 1625年3月27日
イングランド王国、シーアボールズ宮殿

 

 

 

埋葬 1625年5月7日
イングランド王国、ウェストミンスター寺院

 

 

 

王太子 チャールズ1世
配偶者 アン・オブ・デンマーク

 

 

 

家名 ステュアート家
王朝 ステュアート朝

 

 

 

父親 ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート
母親 スコットランド女王メアリー1世


1623-24年発行

PCGS社鑑定枚数4枚、AU58は1枚でトップ3グレードです

 

 

 

直径:27ミリ

重量:4.51g

91.67%金

 

 

 

ロンドン造幣局

 

 

 

古い金貨にも関わらず良い状態で保存されており、とても稀少で価値のある金貨です。

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