アンティークコイン プロイセン 1840-A年 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 2フリードリヒ・ドール金貨 PCGS-MS62
1840年発行(ベルリン造幣局)
発行枚数不明
PCGS社鑑定済み2枚、MS62は1枚でトップ2グレードです。
重量:13.3630グラム
直径:26.0ミリ
品位:90.30%金
表面:右向きのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の肖像

表面には、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の右向きの頭像が描かれている。
周囲にはラテン文字で以下の銘文が刻まれている。
FRIEDR. WILH. III KOENIG V. PREUSSEN (プロイセン国王、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)
肖像の首の下には、ミントマークである「A」が配置されており、これがベルリン鋳造局の製品であることを示している。
この時期の肖像は、ナポレオンを打倒した勝利者としての威厳と、長年の統治による円熟味を感じさせる写実的なスタイルで描かれている。

裏面:プロイセンの鷲
裏面のデザインは、プロイセン王国の軍事的な伝統を強く反映している。
中央には、王冠を戴いたプロイセンの鷲が翼を広げ、戦利品(軍旗、ドラム、大砲など)の上に降り立つ姿が描かれている。
鷲は左を向き、その足元には大砲が配置されているのが特徴である。
上部には発行年である「1840」の数字が刻まれている。
この「鷲と大砲」のモチーフは、フリードリヒ大王以来の軍事強国としてのプロイセンの誇りを象徴しており、特にナポレオン戦争からの復興を遂げたフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の治世において、国家の安定が強力な軍事力によって支えられていることを示唆している。
基準価格
Gold Coins of the Worldでは
VF 1,750ドル
EF 3,000ドル
1.フリードリヒ・ヴィルヘルム3世と激動のプロイセン
1840-A 2フリードリヒ・ドール金貨を理解するためには、まずその発行者であるフリードリヒ・ヴィルヘルム3世(在位:1797年-1840年)の治世を知る必要がある。
彼の43年間にわたる長期政権は、プロイセン王国、ひいてはヨーロッパ全体の歴史において最も劇的な変化が起きた時代の一つであった。
【ナポレオン戦争と国家の崩壊、そして再生】
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、1797年に父フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の跡を継いで即位した。
即位当初、彼は中立政策を維持しようとしたが、最終的に王妃ルイーゼの助言もあり、ナポレオン・ボナパルト率いるフランスとの戦いを選択することとなった。
しかし、1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いにおいてプロイセン軍は壊滅的な敗北を喫し、ベルリンは占領され、王室は東プロイセンへの逃亡を余儀なくされた。
この国家存亡の危機において、国王はシュタイン、ハルデンベルク、シャルンホルストといった改革派の廷臣を登用し、行政、軍事、教会、財政の抜本的な改革(プロイセン改革)を断行した。
1813年、ロシア帝国と同盟を結んでナポレオンに反旗を翻し、解放戦争を経て勝利を収めたプロイセンは、1815年のウィーン会議において領土を大幅に拡大させ、再びヨーロッパの大国としての地位を確立したのである。
【治世後半の安定と教会の統合】
1820年代から1830年代にかけてのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、保守的な政治姿勢を強める一方で、国内の安定と経済発展に尽力した。
特に、ルター派と改革派のプロテスタント教会の統合(プロイセン連合教会)を強力に推し進め、国王自らが教会の最高守護者としての地位を確立しようとした。
この時期の経済的安定は、1821年に導入された通貨改革によって支えられており、本報告書の主題である1840年の金貨も、この安定した通貨制度の末期に発行されたものである。
1840年は、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が6月7日に死去した年であり、この金貨は彼の肖像を冠した最後の金貨となった。
その後、王位は息子のフリードリヒ・ヴィルヘルム4世に引き継がれ、プロイセンは1848年革命へと続く新たな政治的混乱の時代へと入っていくこととなる。
2.フリードリヒ・ドール金貨の貨幣学的な変遷
「フリードリヒ・ドール(Friedrich d’Or)」という名称は、1740年にプロイセン国王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)が導入した金貨の呼称に由来する。
これは当時の国際的な標準金貨であったフランスの「ルイ・ドール(Louis d’Or)」やスペインの「ピストル(Pistole)」をモデルにしたものであった。
【通貨制度における役割と金銀比価】
フリードリヒ・ドールは名目上、プロイセンの銀本位制通貨であるターラー(Thaler)と連動しており、1フリードリヒ・ドールが5ターラー、その2倍の価値を持つ本貨(2フリードリヒ・ドール)は10ターラーに相当した。
18世紀から19世紀にかけて、これらの金貨は主に国際貿易や多額の債務決済に使用される「貿易貨」としての役割を果たしていた。
プロイセンの通貨制度では、銀価格に対する金価格の変動に応じて「アジオ(Agio)」と呼ばれる割増金が設定されることがあり、実質的な市場価格は名目上のタール換算額を上回ることが一般的であった。
1840年当時の2フリードリヒ・ドール金貨は、金純度約90.3%という極めて厳格な基準で製造されており、その信頼性の高さから北ドイツ全域の取引で重宝されていた。
1840年発行(ベルリン造幣局)
発行枚数不明
PCGS社鑑定済み2枚、MS62は1枚でトップ2グレードです。
重量:13.3630グラム
直径:26.0ミリ
品位:90.30%金
本1840-A 2フリードリヒ・ドール金貨は、プロイセン王国の歴史の重層的な文脈が凝縮されたアンティークコイン界の傑作です。
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の長きにわたる統治のフィナーレを飾るこの貨幣は、ベルリン鋳造局の最高水準の技術によって生み出されました。
PCGS MS-62という評価は、この個体が180年以上の時を超えて、鋳造当時の輝きを奇跡的に保持していることを証明しています。
その豊かな光沢、精緻な意匠、そして歴史的な希少性は、プロイセン、ひいてはヨーロッパの栄光の一端を現代に伝える貴重な証人と言えるでしょう。
収集家にとって、この一枚を所有することは、19世紀ヨーロッパの激動と安定の記憶を手にすることに他なりません。



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