アンティークコイン ドイツ 1913-A年 プロイセン フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 20マルク金貨 PCGS-PR66 DCAM

ゴールドコイン

アンティークコイン ドイツ 1913-A年 プロイセン フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 20マルク金貨 PCGS-PR66 DCAM

 

 

 

 

 

発行:1913年

 

 

 

重量:7.9650g

品位:90.0%金

 

 

 

PCGS社鑑定済みが3枚、PR66 DCAMは1枚でトップグレードです。


表面


表面:フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の肖像



裏面

裏面:イーグル



基準価格不明

 

GOLD COINS OF THE WORLDでは

EF            400ドル

UNC        450ドル

PRF      4,500ドル


ヴィルヘルム2世(1859年1月27日 – 1941年6月4日)

第9代プロイセン国王・第3代ドイツ皇帝(在位:1888年6月15日 – 1918年11月9日)。

全名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトル・アルベルト・フォン・プロイセン、史上最後のドイツ君主。


ヴィルヘルム2世は、1890年にもともとそりが合わなかったビスマルクを辞任させ、親政を開始して独自色をうち出した。

 

 

 

まず、内政ではビスマルクが制定した社会主義者鎮圧法の延長を認めずに廃止し、労働運動の弾圧や思想統制強化から国民の融和を図る姿勢に転換した。

 

 

 

内政だけではなく、外交においても従来のビスマルク外交がすすめる勢力均衡をはかるよりも、世界におけるドイツの覇権を求めるという積極策に転じた。

 

 

 

これら、内政から外交に渡るドイツの基本姿勢の転換を、ヴィルヘルム2世は、ビスマルクの政策を旧航路に喩え、自分の政策は「航路は従来のまま、全速前進」であると自ら述べた。

 

 

 

それをもじって、ヴィルヘルム2世の政策は「新航路」Neuer Kurs といわれた。


外交政策では、まずロシアとの独露再保障条約の更新も拒否した。

 

 

 

これはドイツはそれまでのビスマルク外交の基本姿勢である、フランスを孤立させるための親英・親露路線を改め、独力で帝国主義の世界分割競争に積極的に関わることをめざすものであった。

 

 

 

ヴィルヘルム2世は1896年の演説で、「ドイツ帝国は世界帝国となった」と演説、そこから、ドイツ帝国の積極的な海外膨張政策を世界政策といわれるようになった。

 

 

 

まず海軍の大拡張を行ってイギリスと対抗して建艦競争を展開した。またバルカン方面への進出(パン=ゲルマン主義)を行ってロシアとの対立を深めることとなった。

 

 

 

中国分割 アジアにおいては中国進出を開始し、1895年にはロシア・フランスと共に日本に対する三国干渉を行って遼東半島を還付させ、1897年にドイツ人宣教師が殺害された事への報復という口実で、1898年に膠州湾の租借を認めさせ、積極的に中国分割に加わった。

世界の歴史マップより引用


モロッコ事件 フランスとの対立も深め、そのモロッコへの進出を阻止する口実で、2度に渡るモロッコ事件(第1次タンジール事件・第2次アガディール事件)を引き起こした。

 

 

 

しかし、ドイツの侵出を警戒したイギリスがフランスと提携したためドイツは孤立し、モロッコ進出には失敗した。

 

 

 

さらにフランスとの間では両国の国境でのアルザス・ロレーヌをめぐる問題がもちあがった。


3B政策

このヴィルヘルム2世の世界政策は、海軍力を増強してイギリスと対抗するだけでなく、新たな帝国主義政策につながった。それが、ベルリン→イスタンブル(ビザンティウム)→バグダードを結ぶ鉄道建設という構想であり、それは3B政策と言われた。

世界の歴史マップより引用

 

 

 

これはドイツの勢力がバルカン半島から中東(西アジア)に拡大されることになった。

 

 

 

このようなヴィルヘルム2世の帝国主義政策は、イギリスの3C政策と厳しく対立することとなった。


バルカン問題

独露再保障条約を更新しなかったことからロシアとの関係悪化は明確となり、さらにバルカン問題では、スラブ諸国と対立するオーストリアとはパン=ゲルマン主義による親密な関係にあり、1882年以来のドイツ=オーストリア=イタリアの三国同盟の結びつきを強くしていった。

 

 

 

このようなドイツの勢力拡大を警戒するイギリス・フランス・ロシアは提携を強め、1891年~1904年の露仏同盟、1904年の英仏協商、1907年の英露協商によって植民地分割を互いに認める態勢を作った。


1914年7月、ヴィルヘルム2世は第一次世界大戦への突入を承認、戦争が始まった。

 

 

 

しかしその後半にはドイツの戦争の主導権は参謀本部に手に委ねられ、内政は議会多数派が実権を握り、ヴィルヘルム2世はそのいずれでにおいても実権を奪われていた。

 

 

 

1918年にアメリカ大統領ウィルソンの休戦提案(14箇条)が発表されると、それ以前から急速に陸軍の戦意が落ちていたが、さらに11月、キール軍港の水兵反乱から社会民主党左派によるドイツ革命が勃発すると、ヒンデンブルクとルーデンドルフらは政権を社会民主党の穏健派エーベルトにまかせ、イギリス・フランスとの講和を有利にするためにはヴィルヘルム2世の退位と亡命が必要と考え、皇帝に進言した。

 

 

 

ヴィルヘルム2世は何の抵抗もせずそれを受け容れ、11月9日にオランダに亡命した。11月末には正式に退位し、ここにホーエンツォレルン朝は終わりを告げた。

 

 

 

なお、バイエルンやザクセンなど、ドイツ帝国内の国王たちも、前後して退位し、ドイツの君主政は終わりを告げた。


発行:1913年

 

 

 

重量:7.9650g

品位:90.0%金

 

 

 

PCGS社鑑定済みが3枚、PR66 DCAMは1枚でトップグレードです。

 

 

 

人気のドイツ、20マルク金貨です。

トップグレードに加え、発行枚数が20枚以下のDeep Cameoであるため非常に希少な金貨です。

 

 

 

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