アンティークコイン ドイツ 1630年 ザクセン選帝侯 ヨハン・ゲオルク1世 アウクスブルク信仰告白100周年記念 2ダカット金貨 PCGS-AU58

ゴールドコイン

アンティークコイン ドイツ 1630年 ザクセン選帝侯 ヨハン・ゲオルク1世 アウクスブルク信仰告白100周年記念 2ダカット金貨 PCGS-AU58

 

 

 

 

 

発行:1630年

 

 

 

直径:30ミリ

重量:6.94g

98.6%金

 

 

 

PCGS社鑑定済みが7枚、AU58は3枚でトップ3グレードです。


アウクスブルク信仰告白は、ルター派教会が用いる信仰告白のひとつである。アウクスブルク信条とも。

1530年にフィリップ・メランヒトンによってドイツのアウクスブルクで起草されたことからこの名がある。

 

 

 

このアウクスブルク信仰告白には、原典ともよべる版とカルヴァン、ツヴィングリなどとの対話の中で一致点を模索しようとしてメランヒトン自身によって改定された版の2種類があり、多くのルター派教会では、原典版である「改定されないアウクスブルク信仰告白」の方を信仰告白文書として採用している。


表面


表面:ヨハン・ゲオルク1世の肖像



裏面

裏面:アウクスブルク信仰告白100周年記念



基準価格不明

 

GOLD COINS OF THE WORLDでは

VF     3,000ドル

EF     6,000ドル


ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世(1585年3月5日 – 1656年10月8日)

クリスティアン1世とブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルクの娘ゾフィーの間の次男でクリスティアン2世の弟。

1611年、兄に子がなかったので選帝侯位を継承した。


1618年にボヘミアでプロテスタントの反乱が起こり、三十年戦争が始まった最中の1619年の神聖ローマ皇帝の選挙ではフェルディナント2世に投票、皇帝に選出した。

 

 

 

宗派はプロテスタントだったが、ボヘミア王に選出されたプファルツ選帝侯フリードリヒ5世はカルヴァン派であり、ヨハン・ゲオルク1世はルター派で帝国の秩序保持を優先する立場から協力せず、フェルディナント2世からボヘミア北部のラウジッツ授封と引き換えにボヘミアへ出兵、ボヘミア平定に貢献した。

 

 

 

しかし、戦後の1623年にフェルディナント2世がフリードリヒ5世から選帝侯位を取り上げバイエルン公マクシミリアン1世に与えたことと、ボヘミア領内のプロテスタント弾圧を進めたことから協力関係を断ち切り、ブランデンブルク選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルムと共にプロテスタント勢力を集めて中立化した。

 

 

 

以後はフェルディナント2世の政策に反対する姿勢を取り、1628年にフェルディナント2世が傭兵隊長ヴァレンシュタインをメクレンブルク公に叙任したことと、1629年にプロテスタントを否定する復旧令(独: Restitutionsedikt)を公布したことに抗議、1630年のレーゲンスブルクで開かれた議会でヴァレンシュタインを罷免させた。

 

 

 

同年にスウェーデン王グスタフ2世アドルフが北ドイツに上陸すると、当初はスウェーデンとは別にプロテスタント諸侯を中心とする第三勢力の構築を考え傍観していたが、翌1631年に皇帝軍司令官のティリー伯がマクデブルクの戦いで起こした惨劇に憤慨してスウェーデンと同盟を結ぶ。

 

 

 

ザクセンに侵略したティリー伯をスウェーデン軍と共に迎え撃ちブライテンフェルトの戦いでスウェーデン軍が皇帝軍を撃破したが、ザクセン軍は撃破されヨハン・ゲオルク1世は戦場から逃亡した。


戦後、グスタフ2世アドルフが南下すると秩序回復とスウェーデンの勢力拡大阻止からフェルディナント2世との和睦を主張したが退けられ、部下の傭兵隊長ハンス・ゲオルク・フォン・アルニム=ボイツェンブルクを派遣してボヘミアを占領したが、1632年に皇帝軍司令官に復帰したヴァレンシュタインに説得されボヘミアから撤退した。

 

 

 

撤退したとはいえスウェーデンとの繋がりは保っていたままだったため、皇帝軍にザクセンを荒らされるとグスタフ2世アドルフに救援を要請したが、リュッツェンの戦いでグスタフ2世アドルフが戦死。

 

 

 

1633年にスウェーデン主導のハイルブロン同盟が結ばれるとプロテスタントに対する主導権を奪われたことに怒りスウェーデンから離れ、1634年のネルトリンゲンの戦いでハイルブロン同盟が敗北・崩壊すると皇帝に接近、1635年のプラハ条約でラウジッツの領有と次男アウグストのマクデブルク大司教就任を条件にフェルディナント2世と和解、1636年にフェルディナント2世の息子フェルディナント3世をローマ王に選出した。

 

 

 

それからは皇帝側として戦ったが、スウェーデンからは裏切り者とされザクセンを略奪され、1636年のヴィットストックの戦いでヨハン・バネール率いるスウェーデン軍に敗北。

 

 

 

1639年にスウェーデンの将軍レンナート・トルステンソンにケムニッツの戦いで敗れ、1642年にもスウェーデン軍に敗れ劣勢となり、1645年にスウェーデンと休戦、1648年のヴェストファーレン条約に参加した。

 

 

 

1656年に死去、長男のヨハン・ゲオルク2世が後を継いだ。


発行:1630年

 

 

 

直径:30ミリ

重量:6.94g

98.6%金

 

 

 

PCGS社鑑定済みが7枚、AU58は3枚でトップ3グレードです。

 

 

 

人気の高いダカット金貨でグレードも高いため価値があります。

純金に近いため、とても光沢感のある金貨です。

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